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東洋美人の日本酒を徹底解説!味の特徴は?どんなこだわりがあるの?

東洋美人の日本酒を徹底解説!味の特徴は?どんなこだわりがあるの?|theDANN media
「日本酒50選シリーズ」は、「〇〇の日本酒を徹底解説!味の特徴は?どんなこだわりがあるの?」と題して、様々な銘柄や酒蔵を紹介するシリーズ記事です。

 

これまでの記事やこれからの記事はこちら、「おすすめ日本酒50選を徹底解説!味の特徴は?どんなこだわりがあるの?」に書いてありますので、ぜひ読んでみて下さいね。

 

No.40は「東洋美人」です!

はじめに

 

日本全国には銘酒と言われる日本酒がたくさんあります。そして、人それぞれあげる銘柄は違うでしょう。

 

その中に「東洋美人」の名をあげる人も多いのではないでしょうか。

 

山口県萩市に蔵を構える澄川酒造場は、かつて豪雨災害によって一時は存続が危ぶまれたこともありました。

 

そんな酒蔵の窮地に、全国から有志が集まり見事復興を遂げたのです。

 

そこには、澄川酒造場で造られている「東洋美人」を何とかして守りたい、という日本酒好きの熱い思いが込められていました。

 

ここでは、全国にもファンが多い「東洋美人」の歴史や魅力についていろいろ紹介していきます。

 

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創業1921年のこだわりを持った蔵元

 

澄川酒造場の歴史は大正時代にさかのぼります。

 

1921年、目の前を田万川が流れ、周りを山と田んぼに囲まれた自然豊かな土地に醸造所を構えました。

 

そこから80年ほど時が経ち、2001年に4代目澄川宜史氏が跡を継いでから大きく変わり始めます。

 

それまでは300石ほどの生産量で、家族が生活していくためのギリギリな経営状態でしたが、宜史氏が舵を大きく方向転換させたことにより「東洋美人」の名前が一気に全国に知られることとなったのです。

 

東洋美人の名の由来は、澄川酒造場の初代蔵元が亡くなった妻のことを思って名付けたことだといいます。

 

その味を大切に守って作り続けてきて、味わいがとても上品であることから、女性にもファンが多い日本酒でした。

 

転機は2001年の宜史氏の4代目就任でした。

 

彼は4代目を継ぐ前に、山形県の高木酒造でお世話になったことがあります。

 

宜史氏は幻の酒「十四代」を醸す高木酒造の15代高木顕統氏に感銘を受け、澄川酒造場の跡を継ぐ決心をしたと言われているのです。

 

澄川宜史氏が高木顕統氏と出会ったのは、大学時代の学外実習でした。

 

宜史氏は東京農大醸造科出身であり、大学在学中には酒造りに欠かせない麹や酵母について専門的に学び、ときには学外で実習をすることもありました。

 

そして宜史氏が高木酒造の実習に行ったことが、澄川酒造場の未来は変わることになるのです。

 

宜史氏は高木酒造での実習で、高木氏が行う命を削る酒造りを目の当たりにし、自分ができることはこれなのだと悟ったのだそうです。

 

今でもふたりは交流があり、宜史氏は「王道を行こう」と常々声をかけられるといいます。

 

この真意は、「奇をてらわずおいしさと品質の両面で100%の酒を造ること」、宜史氏は常にこのことを心にとめ、蔵元と杜氏の両立を成し遂げながら酒造りをしているのです。

 

澄川酒造場を襲った豪雨災害

 

そんな澄川宜史氏の酒造りは順調に進み、米の旨みを確かに感じる「東洋美人」は、日本全国に名が知れ渡るようになります。

 

順風満帆にみえた澄川酒造場に暗雲が立ち込めるのは2013年です。

 

7月に起こった集中豪雨により目の前の田万川は姿を変え氾濫、酒蔵にまで一気に泥水が流れ込んだのです。

 

酒造りに使用していた機械は使えなくなり、貯蔵していた1万本以上の日本酒は流され、澄川酒造場は甚大な被害を受けます。

 

廃業も頭をよぎったそのとき、支えて助けてくれたのが全国の蔵元関係者や酒販店、ボランティアや「東洋美人」のファンだったのです。

 

銘酒とも言われる「東洋美人」をここで途絶えさせるわけではいかないと、全国から人々が集まり、澄川酒造場の復興を後押ししました。

 

そして本来の仕込み時期から遅れること2か月、2013年の末には仕込みを開始することができたのです。

 

澄川酒造場が見事に復興できたのは、全国から駆け付けた多くの人たちの力と、もうひとつ、4代目宜史氏の蔵元としての力が大きかったと言われています。

 

実は澄川酒造場の豪雨災害による被害は想像以上に大きく、今までと同じ生産能力での再建は、被害額と新しい設備投資費用の両方をまかなうことが難しいということが分かっていました。

 

そこで4代目宜史氏は大きな決断をし、改修とは別に増産体制を整えるための設備投資を行ったのです。

 

豪雨災害による負債を抱える中、さらなる負債を重ねることは苦渋の決断ではありましたが、逆にそれが頑張り続けるモチベーションとなり、なんと2014年の各種コンペティションでは数々の受賞を達成するという結果を導き出しました。

 

日本酒という伝統の新たな船出

 

澄川酒造場の4代目澄川宜史氏は「和醸和楽」という団体に所属しています。

 

この和醸和楽には、そうそうたるメンバーが名を連ねていて、澄川宜史氏以外にも、宜史氏が尊敬する高木酒造の高木顕統氏など、30代・40代の若手蔵元や酒販売店主など総勢40名以上が、日本酒を新たなファン層に広げたいという視点で活動しているのです。

 

彼らが目指しているのは、日本酒をたくさん売りたいということではなく、今まで日本酒と縁がなかった人にも日本酒を知ってほしいという思いです。

 

豪雨災害からの復興を遂げた銘酒「東洋美人」

山口酒造組合 日本酒 東洋美人

(画像:山口県酒造組合公式HP)

 

山口県萩市の銘酒「東洋美人」は、かつて豪雨災害により存続の危機となりました。

 

しかし全国から応援の人が集い、見事復興を成し遂げるのです。

 

これは「東洋美人」を醸す澄川酒造場4代目の澄川宜史氏の酒造りの姿勢が認められているからこそと言われています。

 

宜史氏は、幻の酒「十四代」を醸す高木酒造の15代高木顕統氏を尊敬していて、その命を削る酒造りを目の当たりにしたことから酒造を継ぐ決心をしました。

 

豪雨災害からの復興を遂げたあとは、「和醸和楽」のメンバーに名を連ねて、日本酒を新しいファン層に広げていく活動にも尽力しています。

 

いかがでしたでしょうか。今回は、「東洋美人の日本酒を徹底解説!味の特徴は?どんなこだわりがあるの?」について書きました。ぜひ東洋美人を飲みながら、もう一度読んでみて下さいね。 

 

次回は「二兎」です!二兎は、徳川家康の出身地として知られる愛知県岡崎市の丸石醸造が作っている「二兎」と言う日本酒は、その独特なコンセプトが多くのファンを生んでいます。

記事はこちら>>二兎の日本酒を徹底解説!純米・純米吟醸・純米大吟醸の味の特徴 - theDANN media

 

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