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酔心の日本酒を徹底解説!味の特徴は?どんなこだわりがあるの?

酔心の日本酒を徹底解説!味の特徴は?どんなこだわりがあるの?|theDANN media

「日本酒50選シリーズ」は、「〇〇の日本酒を徹底解説!味の特徴は?どんなこだわりがあるの?」と題して、様々な銘柄や酒蔵を紹介するシリーズ記事です。

 

今回は第二弾です!「【Part2】おすすめ日本酒50選を徹底解説!味の特徴は?どんなこだわりがあるの?」 に書いてありますので、読んでみてください。

 

第一弾は、「おすすめ日本酒50選を徹底解説!味の特徴は?どんなこだわりがあるの?」に書いてあります。

 

No.72は「酔心(すいしん)」です!

 

それでは、はじまり〜はじまり〜

 

 

 

はじめに

 

酔心は広島県三原市に本社を構える酒造会社です。三原市は万葉集の歌に詠まれるなど古くから酒の醸造地としてその名が知られていました。

 

小早川隆景の築いた城下町である三原は海上・陸上ともに交通の要衝であり、酒造りが発展していました。近年では2016年に全米日本酒観評会2016にて、「純米大吟醸生地名誉酔心」が大吟醸B金賞を受賞しています。

 

酔心の歴史と受賞歴

 

酔心の歴史は1860年(万延元年)にさかのぼります。明治の半ば、20数種類に及んでいた酒の銘柄を統一すべく思案していた当時の二代目当主の夢枕に白髪の老人が立ち、「酔心(よいごころ)とすべし」と告げられたのがきっかけで酔心が誕生しました。

 

酔心の受賞歴は1912年(明治45年)に当時の大蔵省が主催した第二回全国酒類品評会で1位を受賞したのを皮切りに、1919年(大正8年)、1921年(大正10年)、1924年(大正13年)と3度同品評会で優秀賞を受賞し、「名誉賞」を授与されました。ちなみに、この品評会で名誉賞を与えられたのは酔心のみです。

 

近年は先述の全米日本酒観評会2016における大吟醸B金賞のほか、沼田東工場とその三年蔵が広島国税局清酒鑑評会の香りを主たる特徴とする清酒優等賞を受賞、「鳳凰酔心究極の大吟醸」が味を主たる特徴とする清酒優等賞を受賞し、春季全国酒類コンクールで「酔心橅のしずく純米酒」が純米酒第1位特賞を勝ち取ったり、SAKEin広島で「純米吟醸酔心稲穂」が純米吟醸で、「上撰酔心ぶなのしずく白ラベル」が燗酒で好評を得るなど、多数の受賞歴があります。

 

原料へのこだわり~水と米~

 

酔心のお水

 

酔心のこだわりは原料にも現れています。酔心の酒は超軟水で仕込まれています。

 

仕込み水は広島県中央部の鷹の巣山山麓から湧き出る硬度14の軟水です。鷹の巣山にはブナの原生林があり、その山から得られる伏流水はミネラル分を含まないまさに軟水です。軟水で酒を造った場合、発酵がゆっくりになるため、酵母は香りのもとであるエステルをたっぷりと作ります。

 

こうして軟水で作った酒はすっきりとした飲み口と上品な甘みとうまみを持つ軽やかで芳香のするお酒が出来上がります。

 

酔心の仕込み水である「ブナのめぐみ」は本物の軟水仕込みへの回帰を決心した五代目と六代目の蔵元が2000年(平成12年)に掘り当てた水脈から得ています。

 

水脈を得るまでは試行錯誤の日々を送っていました。この水を得てから酔心は全国新酒鑑評会で2000年~2002年(平成14年)の間に金賞を連続で受賞しています。それから海外を含んだ様々な賞を勝ち取っているのです。

 

酔心のお米と麹

 

原料となる米は最高級と言われる「山田錦」や広島県の厳選された酒造米などの地元の好適米を使い、精米歩合などの裁定が65%以下から最高30%と高度な精米を行っています。麹は、「突き破精」の麹造りを伝統とした手造りの麹を使用しています。

 

横山大観と酔心の関係

 

日本画の巨匠として知られる横山大観と酔心は昔から関係が深いことで知られています。

 

大観は大変な酒好きで、特に「酔心」を愛飲していました。

 

人生の後半はほとんど米の飯を口にせず(たまに食べるときも朝に茶碗一杯程度でした)、一日の食事をこの酒と肴(少量の野菜)で済ませていたそうです。

 

酔心と大観の関係が深かったことがわかるエピソードがあります。

 

昭和初期に店に連日酒を買いに来る女性は誰かと店員が尋ねたところ、大観の夫人でした。その話に興味を持った酔心の三代目社長である山根薫が大観の自宅に訪れて話したところ、意気投合し一生の飲み分を約束した山根が無償で大観のもとに送りました。

 

その見返りとして大観は毎年一枚ずつ自ら描いた作品を寄贈し、それが集まって「大観記念館」ができあがったほどです。

 

しかし、山根は年に四斗樽で何本も注文が来るので大変驚いたそうです。しかし、大観は最初から酒が好きだったわけではなく、若いころはお猪口2、3杯で顔が真っ赤になってしまうほどの下戸でした。

 

彼の師匠であった岡倉天心は1日に2升ほども酒を飲む酒豪だったため、「酒の一升ぐらい飲めなくてどうするんだ」と大観を叱責しました。そこで大観は飲んでは吐いてを繰り返し、訓練した結果酒好きとなったのです。

 

大観と酔心の約束は彼が生涯を閉じた1958年(昭和33年)まで続きました。第二次世界大戦のさなかにあっても大観は「酔心は主食である」という彼の主張通り何とか東京まで酒を送ってほしいと山根に直筆の手紙まで送っています。

 

この運送を当時の大臣であった五島慶太に計ってもらうよう依頼したこともありました。

 

晩年の大観は薬や水さえも受け付けなくなるほどの重体ではあったものの相変わらず醉心のお酒だけは喉を通すことがでました。それがきっかけで翌日からは果物の汁やお吸い物などが飲めるようになり、一週間後にはお粥を食べられるほどまでに回復したという逸話があります。

 

三原が生んだ名酒「酔心」

 

万葉集の時代から酒造業で知られる三原市に蔵を構える酔心の酒は麹米と掛け米に最高級とされる山田錦をふんだんに使い、鷹の巣山山麓の軟水で仕込んでいます。

 

そのため、すっきりとした飲み口と上品な甘みやうまみを持ち、軽やかで芳香のするお酒です。酔心はかの横山大観が「醉心のお酒は一つの芸術だ」と称賛するほどのまろやかながら辛口の味を持っています。

 

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